INAXライブミュージアム 世界のタイル博物館 INAX TILE MUSEUM

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技術と歴史展

第1回「日本のタイルのルーツ 〜古代瓦と敷瓦」
2002年4月2日(火)〜2002年12月25日(水)

世界のタイル博物館では、技術と歴史を紹介してきた1階の展示コーナーの一角を改装して、新しいコーナーを開設しました。2回の山本コレクションによる世界のタイルの展示をより深く理解できるように、写真や道具も展示して、タイルの使われ方や製造技術、文化的背景などをわかりやすく紹介しています。第1回目は、「日本のタイルのルーツ〜古代瓦と敷瓦」というテーマです。やきものでできた最初の建材である瓦から、中国の建築様式を取り入れた禅宗寺院の敷瓦、そして日本独自の侘び茶の文化とともに発達した茶道具としての敷瓦を紹介しています。また、高浜市かわら美術館所蔵の貴重な古代瓦と、織部釉の敷瓦に鉄風炉を据えた展示も見どころです。


会期

2002年4月2日(火)〜2002年12月25日(水)

時間

10:00AM〜5:00PM(入館は4:30まで)

会場

1階 常設展示会室・企画展コーナー

休館日

毎週月曜日

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1.日本のタイルのルーツ〜古代瓦と塼
日本におけるタイルのルーツは、大陸から伝わった瓦や塼だといわれています。仏教伝来の50年後の西暦588年に、仏教寺院建築のために、瓦の製造技術が、工人とともに朝鮮の百済から伝来しました。当時都であった飛鳥の地に、日本で初めての本格的な寺院、飛鳥寺が建てられ、その屋根瓦が近くに築いた窯で製作されました。平城京遷都に伴い、寺は奈良に移転して元興寺(がんごうじ)と改名され、飛鳥寺の屋根瓦も一部使われ、現在でも元興寺極楽坊の屋根瓦に見ることができます。

瓦は、平瓦、丸瓦、軒平瓦、軒丸瓦と大きくは4つに分類されます。平瓦を並べその列間の隙間を被うのに丸瓦を葺きます。それぞれの軒先部分には、正面部分に唐草文や蓮華文などの装飾を施した軒平瓦・軒丸瓦と呼ばれる瓦が使われました。瓦の原料は、粘土に1割ほどの砂を混ぜたもので、板状にした粘土を上すぼまりの円筒状の模骨(もこつ)という木型に巻き付けて成形します。脱型を容易にするために粘土と木型の間に麻製の袋や麻布を挟むので、瓦の表側にはこれらの布目が残ります。一方、瓦の裏側には、型に打ち付けたり、叩き込んだり、また縄を巻き付けた棒でローラーのように押し付けた跡が見られます。ほとんどは無釉で、濃灰色の表面となっています。塼は、中国のれんがやタイルを指す用語で、当時の日本では主に寺院建築の基壇や土間、壁に使われました。仏像を浮彫にした仏塼は、寺院の仏殿の壁に張られました。南法華寺出土三尊仏塼には釘穴があり、釘で壁に固定したことが伺えます。




日本のタイルのルーツ〜古代瓦と塼


2.禅宗寺院に見る中国の様式〜敷瓦
平安時代末に中国の宋で修行した栄西によって初めて禅宗(臨済宗)が伝えられました。禅宗では、ほとんど例外なく、中国の宋代における寺院建築を忠実に再現しました。鎌倉の建長寺、京都の天龍寺や泉涌寺などが宋の建築様式を非常に良く再現していると言われています。

その建築様式のなかの一つの特徴は、床の造りです。禅宗では、立式の作法や椅子を使いうため、床は床板を張らず、土間のままか、或いは瓦素地でつくった正方形の陶板、すなわち「敷瓦」(しきがわら)を四半敷き(張り)と呼ぶ、壁に対して45度斜めに敷き並べる方法で仕上げました。有名な寺院では、京都の建仁寺法堂や、東福寺法堂、南禅寺法堂などで、瓦色の敷瓦を見ることができます。瓦は還元炎焼成で濃灰色に仕上げますが、窯の中の炎の具合で焼けむらができて白〜赤味のあるものもあります。なお、目地は入っていないものが多く、接着もされず敷き並べただけのものが多いようです。

鎌倉時代の初めに始まった瓦色の敷瓦に続いて、江戸時代の初めには、瀬戸で製作された施釉陶板が床材として登場します。瀬戸にある禅宗の定光寺(1636年創建)の焼香殿と宝蔵は、徳川義直(源敬公)の廟(墓所)で、明代の帰化中国人、陳元贇の設計によるものといわれ、床には施釉陶板が敷かれています。施釉陶板については、中国の宮殿を描いた江戸時代初期の屏風絵にも使用例が見えることから、中国の施釉陶板の図案が日本にもたらされて、禅寺の施釉陶板を生み出したと考えられます。




禅宗寺院に見る中国の様式〜敷瓦


3.茶道具に使われた敷瓦
茶の湯の歴史は古く、奈良から平安時代の初めに遣唐使によって伝えられました。その後、鎌倉時代に、栄西が宋代の中国から禅宗と抹茶による喫茶を伝えました。室町時代の半ばには、村田珠光や武野紹鴎に始まる「わび茶」がおこり、新しい美意識に基づく茶の湯が千利休によって大成されました。茶室も書院造りから山里風の庭に草庵を建て、世俗を離れた別世界に茶の湯を求めました。さて、敷瓦と茶の湯の関係ですが、敷瓦は鉄製の「風炉」(ふろ)と呼ばれる釜の湯を沸かす脚の付いた火鉢のようなものを載せる敷板として使われたのです。はじめは、床に敷く黒色の瓦を畳の上に敷いて鉄風炉を置くこともあったようですが、その後、志野や織部、黄瀬戸などの文入りの施釉陶板を茶道具の敷瓦としてつくり、使うようになったのです。備前焼や信楽焼のような野趣に富んだ自然な釉も、わび茶には恰好のものだったと思われます。京都大徳寺の寸松庵に伝わる花壇瓦も、畳の上に置いて織部の緑釉が半分流れるように掛かったものを景色に見立てて風流を楽しんだと言われます。この織部釉が半分掛かった図柄は、風炉の敷瓦として作られたものに好まれました。また、側面への施釉や、浮彫・彫込による模様は、風炉の敷板として製作されたものの特徴です。

はじめは、寺院の床材として使われ始めた敷瓦ですが、本格的な普及にはならなかったものの、このように茶の湯をとおして、茶道具あるいは飾り陶板として独自の発展をしたのです。




茶道具に使われた敷瓦


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