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両面焚倒焔式角窯(りょうめんだきとうえんしきかくがま)

[1] 石炭窯について

[2] 塩釉について

[3] 窯に使われた古レール

「窯のある広場・資料館」の中にある石炭焚きによる両面焚倒焔式角窯は、1986年(昭和61年)に中心的な展示物として整備、公開されました。煙突、窯、建物とも当初から現在の場所にあり、ほとんど当時のままの姿を保っています。非常に大きな窯のため、1997年に窯本体と煙突は国の登録有形文化財に指定され、貴重な産業遺産として各方面から注目を集めています。

壁に沿って炎が上がるように設けられた火屏風

壁に沿って炎が上がるように設けられた火屏風

【窯の略歴】

1921年(大正10年)

築窯

1958年(昭和33年)

基礎部分からの大改修

1971年(昭和46年)

操業停止

1986年(昭和61年)

資料館として整備、公開

1997年(平成9年)

国の登録有形文化財に指定

【窯の概略】

・形式・・・石炭焚きによる両面焚倒焔式角窯

・燃料・・・石炭(九州田川産の豊国炭が主)

・内寸・・・間口5.5m 奥行11.0m 高さ3.4m

・最大外寸・・・間口8.4m 奥行12.6m 高さ3.9m

・焚口・・・片面7個所、両面合計14個所

・主要焼成品・・・

陶管、焼酎瓶、クリンカータイル(せっ器質施釉床タイル)、いずれも、食塩釉使用

・煙突・・・

台座付角型、赤れんが積、高さ21.0m
1944年、45年の大地震により相次いで倒壊、再建。1993年、鉄アングルによる補強を実施

・建物・・・瓦葺き木造3階建、現在は3階の床部分を撤去

【焼成方法】

窯入れ、窯出し・・・1日ずつ

焼成・・・3〜4日間(約71〜90時間)

冷却・・・10日間(当初は密閉のまま冷却、4〜5日経過後、徐々に開放して冷却)

最短サイクル・・・1サイクル/15日

[1]石炭窯について

石炭を投入する窯焚き口

石炭を投入する窯焚き口

中世の頃から常滑では窯業が栄え、初めは知多半島の丘陵地という地の利を活かした穴窯が築かれ、甕や壷、山茶碗、小皿などを生産していました。その後16世紀になって大窯に変換し、江戸時代末の天保5年には、登り窯が常滑に築かれました。常滑陶器同業組合は1901年(明治34年)に、薪を燃料に使った燃費の悪い登り窯に代わるものとして、石炭を燃料とする倒焔式角窯、通称石炭窯の試験窯を、横井惣太郎(当時の陶器学校校長)が飛鳥井孝太郎の指導により設計して造り、様々な試験をおこなって普及させました。この試験窯は、国内第1号の石炭窯となりました。薪よりも安価な石炭窯の登場で、坂を昇り降りする登り窯の重労働から開放され、従来の共有式から個人で窯を築くようになり、生産効率も向上しました。

[2]塩釉について

窯内壁に生成した塩釉

窯内壁に生成した塩釉

塩釉は15世紀頃にドイツのライン地方で始まった技法で、粘土質の製品を焼成する際、1170〜1200℃の最高温度になったときに、岩塩を燃料の石炭と共に窯の中に投入し、岩塩が分解して素地中の成分と反応して、ソーダーガラス質の釉面を形成したものです。この方法では、焼成する前に特別に釉薬をかける必要はなく、岩塩を投入するだけで製品の表面に釉薬のようなつやができ、器ものや陶管などの保水性が確保されます。しかし、昭和50年代には、塩素ガスの排出規制から、塩釉のやきものは焼造されなくなりました。
当館にある石炭窯では、塩釉による陶管や焼酎瓶、クリンカータイル(せっ器質施釉床タイル)が生産されました。窯の容量が大きいため、窯詰めから昇温、冷却、窯出しには時間がかかり、最大でも一月に2回しか焚くことができませんでした。内部の壁は耐火れんがでできていますが、製品の表面に付着する塩釉と同じものが、何度も焚いているうちに壁面に形成され、窯そのものに釉薬がかかった状態となって、粘土中の鉄分による飴色の美しい肌を見せています。

[3]窯に使われた古レール

窯を支える古レールと窯の膨張収縮の変位を調整するネジ付鋼棒

窯を支える古レールと窯の膨張収縮の
変位を調整するネジ付鋼棒

当館の倒焔式角窯は大型のため、焼成や冷却の過程で生じる窯全体の膨張・収縮が大きくなります。その変位かられんが積みを保護するために、鉄道に使われたレール24本と12本の鋼棒でネジ止めされています。1921年(大正10年)にこの窯が築かれた際に、三重・桑名郊外の古物商から購入した中古レールが壁に組み込まれました。具体的には、アーチの水平荷重を、窯の壁面に水平に埋め込んだレールで支え、さらにこれらを垂直に立てた24本のレールで支えているのです。このうち12本は溝付になっている路面電車用のレールで、残り12本は普通軌道用(枕木が露出しているもの)の30kgレールです。
一般の自動車も乗り入れる路面に、敷石やアスファルトで2本のレール間を埋めておくのが路面電車の軌道の構造ですが、このとき電車の車輪のフランジ部分(車輪の最外周部分)が通れる隙間を確保するために、レールの頭部に溝を付けたものを、溝付レールと呼んでいます。

鉄道に使われた古レール

鉄道に使われた古レール

路面電車用レール12本のうち10本は、東京市電(都電の前身)に使用されたものですが、残りのうち1本はドイツ・フェニックス社(ルール地方の5大製鉄所の一つ)ルーロルト工場で製造されたものです。普通軌道用30kgレールでは、米国アルバニー&レンスラー鉄鋼会社トロイ製鉄所製が3本(14,15,18)あり、そのうち2本は1876年製です。わが国で発見されたレールでは、今のところ1875年製(トロイ製鉄所、近鉄橿原神宮前駅で発見)が最も古いようですから、これはかなり貴重なレールになります。ラッカワンナLACKA1&C Co. SCRANTONの刻印のあるレールは、米国スクラント所在の製鉄所製で、当館には2本あります(11,24)。その他、1本ずつある普通軌道用のものでは、英国モスベイ社製(19)、米国イリノイスチール社製(4)、米国N.C.R.M Co STEEL社(7)です。N.C.R.M社製は、目にすることが非常に少ない珍しいレールだと言われています。

以上のレールのほかに、メーカー不詳のものが普通軌道用レールでは5本、溝付きレールでは1本あります。なお、東京市電で使われていたレールと特定する刻印などはありませんが、古物商の話として伝わっています。駅舎の柱や電柱などに中古レールを使った例は現在でもよく見かけますが、資材不足の時代には重宝したのだと思われます。

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