2012年6月1日 インタビュー:大橋恵美(LIXILギャラリー)
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大橋 |
川村さんの「Mirror Portraits」(2012)は、母と娘という普遍的なモチーフがテーマですが、それを選んだのはなぜですか
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川村 |
以前は写真を使用して作品を制作していました。海外の美術作家に、写真を用いドキュメンタリーとフィクションの関係性を意識的に操作し、鑑賞者に能動的に作品を鑑賞をさせ、社会や歴史について「問い」を投げかける作家がいます。次第にそのような表現に興味を持つようになりました。
私にとって身近な問題である社会とはなんだろうかと考えてみると、幼少期から人と人の関係性、コミュニケーションに関心があることを思い出しました。他者との関係を一番最初に築く社会が家族であり、その後の人間関係を形成する際に大きな影響を与えていると思います。
その後、友達のように仲のいい母娘という相互依存の関係を知り違和感を感じたのを契機に、母と娘に関する書籍を意識的に読みました。それらには、同性であるが故の一体感が依存的な愛情を生みやすいと記述されたものが多いのが印象的でした。勿論、それもひとつの側面だと思いますが、それだけでは語りえない複雑な関係性がそこには記述されていないと感じました。そのような経緯から、母と娘という関係に取り組んでみたいと考えるようになりました。
そして、結婚するしない、子供を生む生まない、仕事を継続するか専業主婦になるかという女性の人生の中の選択肢が、現在の社会を映し出すのではないかとも思いました。女性という存在が社会を反映しやすい性別であること、女性のもつ複雑で多様な内面性に魅力を感じていることも、母と娘という関係性に着目した理由です。
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大橋 |
写真から映像に変わりました。
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川村 |
写真の歴史は産業技術の歴史でもあります。ダゲレオタイプと呼ばれる銀板写真では、露光時間が長時間でした。そのため、被写体が風景や静物に限定されていたのですが、後にポートレート撮影の需要が高まった際に露光時間が改良され、1 〜 2分で撮影することが可能となりました。当時の肖像写真には、露光時間における被写体の時間、そして表情の集積が1枚の像となり、刻まれていて、私はその1枚の写真の中に存在していた時間と、写真に写らなかった被写体の身体の動き、そして被写体の表情やまばたきを想像し興味を持ちました。
顔とは常に不安定であって決して静止していませんが、写真は瞬間しか切り取らない為、表情を捉えることは困難です。表情とは絶えず移ろい、揺れ動いている為、時間現象として現われるべきものではないかと考えました。そこで、現代におけるポートレート写真とはどのように撮影するべきかと考慮した結果、デジタル一眼レフカメラを用い、動画を撮影するようになりました。
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大橋 |
ダブルスクリーンの意図は。
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川村 |
ダブルスクリーンには、母と娘は互いを映し出す鏡という意味がありますし、どちらの女性が語っているのか、言葉を頼りに双方の女性の顔を注意深く見る経験を鑑賞者に促したいと思っています。制作方法はインタビューを2時間行い、その後2分間デジタル一眼レフカメラを使用し、撮影をしています。インタビューした内容から、テキストを起こし、使用するエピソードを抜粋します。その際、被写体である女性の個人のエピソードが、一般的な母と娘の関係性へと置き換えられると感じられるエピソードを選んでいます。
そのテキストを第三者に朗読してもらうことで、個人の母と娘の関係性から、一般的な母と娘という抽象的な関係へと変化させたいと考えています。とはいえ、抜粋したテキストは、他者のエピソードでありながらも、私が選択している為、自伝に近いものとなりました。
「mirror portraits」は母と娘という関係性を映し出す鏡でもあり、作者の私を映し出す鏡でもあり、鑑賞者の様々な記憶を喚起させる鏡でもあります。
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大橋 |
影響を受けた作家はいますか。
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川村 |
作家の多和田葉子さんの著書『エクソフォニー ー母語の外へ出る旅ー』に「言葉を生み出せば、その言葉そのものが空間となる」という言葉があります。言葉が空間になるという視点は、以前から作品という空間の中に鑑賞者そのものを取り込みたいと考えていた私が現在の展示形式に至ったインスピレーションの源になっているかもしれません。
それと、おばあさんと会話していて彼女が「お母さんが」と語った時に、時間が巻き戻っていくような感覚を覚えました。それ以来、女性の一生という時間について、より意識的に考えるようになったのではないかと思います。
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/インタビュー終了//>