2012年12月7日 インタビュー:大橋恵美(LIXILギャラリー)
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大橋 |
渡辺さんの作品はダイナミックでありながら繊細な面もあり、迫力があります。渡辺さんはつくりたい作品の方向性は決まっていたのですか。
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渡辺 |
最初はデザインに興味を持っていたのですが、立体には自分のイメージが現実の世界に飛び出してくるようなリアル感があって、魅力を感じて変わりました。
私のイメージの現れ方は、初めはピントが合わないようなところから、手を動かしながらピントを合わせていくイメージです。表現したいことや言いたいことがまずあって、それを模索して考えていくうちに、モチーフが決まり、また実際に制作に入ってからもどんどん他の要素が入ってきます。私は形態に関するこだわりよりも、変容する自分のイメージにより近づけています。
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大橋 |
「女性性、境界、音」をテーマに制作されています。
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渡辺 |
こうしたキーワードには、自分の中の違和感やコンプレックスみたいなものがあるように思います。言葉で上手く他人に伝えられなかったり、誤解されているのではないかと後から気になったりすることがよくあります。言葉で上手く伝えられないもどかしさから、私は作品を制作しているのだと思います。
「女性性」には、自分には女性性があまりないような感じがしてコンプレックスがありました。ボーヴォワールの「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」に共感しました。男性でも女性性を感じる人もいるので、そうしたことに興味があります。
「境界」は自分と外の世界に何か隔たりがあるという感覚を意味しています。
「音」は、例えば「そしてどこかへいってしまった」(2012)の場合、幻聴的な感じでずっと鐘の音みたいなものが聞こえていたんです。次は何をつくろうか悩んで危機感を感じていたときに、なぜか「リーン、リーン」と高音の変な音が聞こえて、それをイメージにした作品です。複雑な心の葛藤があって「心象音景」みたいなところもあるのではないかと思います。
その前の「幻聴音楽」(2011)は、陶器の部品を吊り下げる作品で、部品どうしがぶつかって実際に音を発するのですが、「そしてどこかへいってしまった」(2012)では、イメージとして音的なものが感じられる作品を目指しました。
音の刺激から作品が始まり、つくることによりまた刺激が生まれ、つくり続ける、その繰り返しです。
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大橋 |
「人の目を見て話しなさい」(2011)と「ポイズンの気持ち」(2010)の間には、なにか関係がありますか。
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渡辺 |
「人の目を見て話しなさい」は、私はあまり人の目を見て話すことが出来ないのですが、それは自分に自信がなかったり、人の目を見て話すことで、その人に自分の心が読まれてしまうんじゃないかと思ってしまうからなんです。
この作品は頭部が額縁になっていて鏡が入っています。人の目を見ていると、自分が話していることに対する反応が鏡のように写ってしまうということの比喩です。四つ足にしたのは人間ではないけれど、そうした感情が生き物みたいなものとして存在することを表現しました。きらびやかな装飾は、自分の身を守りたいという気持ちです。
「ポイズン」も同じで、装飾に関心を集めて、本心を読まれないようにしているのかもしれません。
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大橋 |
「路地裏の神様」(2010)はお守りみたいです。
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渡辺 |
この作品は、下北沢にあった戦後の頃から続く薄暗い商店街が、耐震工事でインテリジェントビルになる計画があって、私は残して欲しかったので、アクションを自分なりに起こしたいと思い、場に堆積する時間や思念を可視化させたような作品をつくり、商店街に献上するように展示した作品の一部です。
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大橋 |
「ひみつの日記帳」(2010)は陶でなくてもよかったのでは。
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渡辺 |
この作品は、横倒しにて並べると言葉が連なって読めます。でも横から見ると何が書いてあるのか分からないという作品です。他の素材でもよかったのに、こういう作品をつくってしまうのは、私は周りの刺激に影響されやすいからかもしれません。何を見ても入ってくる感じがあって、嫌いなものは無意識にシャットダウンしているとは思うのですが、その敷居がすごく低い。特に好きなものが無意識に作品に出ているのではないかと思います。
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大橋 |
渡辺さんは陶芸プログラムで制作をされてきましたが、これまでの作品の素材は硝子、金属、磁器、土と多様です。
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渡辺 |
私は大学3年生までは、素材はあまり気にしませんでした。それよりも制作は好きだけれど、制作する理由がわからなくなっていったんです。見つけなければ、自分は卒業と同時に制作をやめるだろうと恐れ、卒業するまでになんとか理由を見つけたいと思いました。その時、大学の陶芸プログラムは「自分の内側を耕してつくる」ということに重きを置いていると思ったので、そこへつくる理由を探しに行きました。
粘土は可塑性が高くて、大学に入る前から触っていたから簡単だろうと思っていたんですが、やきものには様々な工程が入って難しいですね。今ではやきものにしかない魅力に惹かれています。
土に触るようになって、どっしりしたものをつくることが楽しくなりました。作品が一つあるだけで空気が大きく変わるような、空間を支配するような作品をつくりたいです。そもそも、私が立体に惹かれてやりたいと思ったきっかけはそれだったと思い、それから作品も大きくなっていきました。
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大橋 |
心象を作品のテーマにしている他に、影響を受けているものはありますか。
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渡辺 |
ヤン・シュヴァンクマイエルとヤン・ファーブルです。私は本を読むのも好きでレイ・ブラッドベリ、阿部公房、寺山修二からも影響を受けていると思います。共通する暗闇を覗くような楽しみもわかります。私は自分が暗いと思っているので。陶芸以上に現代美術のほうに興味もあって、すごく好きだと思います。
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大橋 |
卒業されてしてからは益子で制作されています。
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渡辺 |
卒業してからも制作を続ける方法として、働きながら制作できる場所を探しました。
益子に行ってよかったのは、やきものに携わる人が集まる村みたいなところなので、制作を継続するための環境の下地を整えやすい土地だと思います。外から移り住んでくる若手作家も数多く、本来の伝統的な地場産業を守りつつ、新しい風を受け入れていこうという気風があるのも、自分の気質とマッチしていて好ましいです。
何よりも、産地としてのやきもののあり方というものを、肌身をもって感じることができるのが、いい経験になると考えながら生活しています。でも、このまま益子の器職人になってしまいそうな時には、また新たな刺激をもとめて、レジデンスなどの環境に身を置くことも視野に入れてます。
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/インタビュー終了//>